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ピーター・ドラッカーのプロフィール

【ピーター・ドラッカー】米国の経営学者、社会学者、コンサルタント。1909年、オーストリア生まれ。ドイツフランクフルトの「フランクフルター・ゲネラル・アンツァイガー」紙の記者になる。その後、フランクフルト大学にて法学博士号を取得。このころ、A・ヒトラーやゲッベルスをたびたびインタビューする。自ら発表した論文がヒトラー率いるナチスの怒りを買うことを確信し、イギリスロンドンに移住し、ケインズの講義を直接受け、イギリスの投資銀行に勤める。アメリカに移住し、アメリカ政府の特別顧問に就任した後、ニューヨーク大学教授となる。
日本から勲三等瑞宝章を授与された後、クレアモント大学大学院教授となり、アメリカ政府から、民間人への最高位の勲章である自由勲章を授与される。経営マネジメントの生みの親と呼ばれ、現在でも多くの経営者に信奉される。
2005年、カリフォルニア州クレアモントの自宅にて老衰のため死去。95歳没。

どんな分野でも、普通の人であれば並みの能力は身につけられる。卓越することはできないかもしれない。卓越するには、特別の才能が必要だからである。だが、成果を上げるには、成果を上げるための並みの能力で十分である。

組織の活動や業績に実質的な貢献をなすべき知識労働者は、すべてエグゼクティブである。組織の活動や業績とは、企業の場合新製品を出すことであり、市場で大きなシェアを獲得することである。病院の場合は、患者に優れた医療サービスを提供することである。組織のそのような能力に実質的な影響を及ぼすために、知識労働者は意思決定をしなければならない。命令に従って行動すればよいというわけにはいかない。自らの貢献について責任を負わなければならない。

私は、成果を上げる人間のタイプなどというものは存在しないことをかなり前に気づいた。私が知っている成果を上げる人たちは、その気性や能力、仕事や仕事の方法、性格や知識や関心において千差万別だった。共通点は、なすべきことを成し遂げる能力を持っていたことだけだった。

知識労働は三種類ある。第一に仕事の成果が純粋に質の問題であるもの。第二に、質と量を共に成果とすべきもの。第三に仕事の成果が肉体労働と同類の仕事が多数あるもの。知識労働の生産性を高めるには、その仕事が成果に関して、いずれの範疇に属するかを知っておく必要がある。

新しい組織社会では、知識を有するあらゆる者が、4・5年おきに新しい知識を仕入れなければならない。さもなければ時代遅れとなる。このことは、知識に対して最大の影響を与える変化が、その知識の領域で起こるようになっていることからも、重大な意味を持つ。新しい知識を生み、古い知識を陳腐化させるものは、科学や技術とは限らない。社会的なイノベーションのほうが大きな役割を果たすことが多い。

土地、労働、資本は制約条件でしかない。それらのものがなければ、知識といえども、何も生み出せない。だが今日では、効果的なマネジメント、すなわち知識の知識に対する適用が行われさえすれば、他の資源はいつでも手に入れられるようになっている。

知識がたんなるいくつかの資源のうちの一つではなく、資源の中核になったという事実によって、我々の社会はポスト資本主義社会となる。この事実は社会の構造を根本から変える。新しい社会の力学を生み出し、新しい経済の力学を生む。そして新しい政治を生む。

昔の人は言った。「夕食の客には教育ある人が良い。しかし砂漠では、教育のある人よりも何かのやり方を知っている人が必要だ。教育ある人間はいらない」。事実すでにアメリカの大学では、伝統的な教養人は、教育ある人間とさえ見なされなくなっている。そのような者は、趣味人として一段下に見られている。

組織は変化に対応するために高度に分権化する必要がある。意思決定を迅速に行わなければならないからである。その意思決定は、成果と市場に密着し、技術に密着し、さらにイノベーションの機会として利用すべき社会、環境、人口構造、知識の変化に密着して行わなければならない。

3つの段階、産業革命、生産性革命、マネジメント革命の根本にあったものが、知識における意味の変化だった。こうして我々は一般知識から専門知識へと移行してきた。かつての知識は一般知識だった。これに対し、今日知識とされているものは、必然的に高度の専門知識である。

知識労働の生産性の向上を図る場合にまず問うべきは、「何が目的か。何を実現しようとしているか。なぜそれを行うか」である。手っ取り早く、しかも、おそらく最も効果的に知識労働の生産性を向上させる方法は、仕事を定義しなおすことである。とくに、行う必要のない仕事をやめることである。

我々が強い衝撃を持って最初に学んだことは、知識労働においては、資本は労働(すなわち人間)の代わりにはならないということである。経済学の用語に従えば、肉体労働については、資本と技術は生産要素である。しかし知識労働については、もはやそれらは生産手段であるにすぎない。資本と技術が仕事の生産性を高めるか損ねるかについては、知識労働者がそれらを使って何をいかにするかにかかっている。仕事の目的や、使う人の技量にかかっている。

多くの人にとって、マネジメントと言えば企業経営を意味する。だがそれは、単にマネジメントが最初に現れたのが大企業だったからにすぎない。50年ほど前、マネジメントの研究に取り組んだとき、私も企業のマネジメントに焦点を当てていた。しかしやがて、企業であれ企業以外であれ、あらゆる近代組織において、マネジメントの研究に取り組んだとき、マネジメントの必要性が明らかになっていった。

成果を上げる人の共通しているのは、自らの能力や存在を成果に結びつける上で、必要とされている習慣的な力である。企業や政府機関で働いていようと、病院の理事長や大学の学長であろうと、まったく同じである。私の知る限り、知能や勤勉さ、想像力や知識がいかに優れようと、そのような習慣的な力に欠ける人は成果を上げることができなかった。成果を上げることは一つの習慣である。習慣的な能力の蓄積である。習慣的な能力は、常に習得に努めることが必要である。習慣になるまで、いやになるほど反復しかければならない。

我々は、一つの重要な分野で強みを持つ人が、その強みをもとに仕事を行えるよう、組織を作ることを学ばなければならない。仕事振りの向上は、人間の能力の飛躍的な増大ではなく、仕事の方法の改善によって図られなければならない。知識についても同じことが言える。優れた知識を大量に持つ人を大量に手に入れようとしても、そのために必要な費用が期待できる成果に比べて高すぎる。

知識労働者を直接、あるいは細かく監督することはできない。彼らには助力を与えることができるだけである。知識労働者は自らをマネジメントしなければならない。自らの仕事を業績や貢献に結び付けるべく、すなわち成果を上げるべく、自らをマネジメントしなければならない。

仕事や成果を大幅に改善するための唯一の方法は、成果を上げるための能力を向上させることである。際立って優れた能力を持つ人を雇うことはできる。あるいは際立って優れた知識を持つ人を雇うこともできる。だが、いかに努力したとしても、能力と知識の向上に関しては、大幅な期待をすることはできない。もはや、これ以上は不可能か、あるいはすくなくとも効果のあまりないような限界に達している。新種のスーパーマンを育てることはできない。現在の人間を持って、組織をマネジメントしなければならない。

ものごとをなすべき者の仕事は、成果を上げることである。ものごとをなすということは、成果を上げるということである。企業、病院、政府機関、労働組合、軍隊のいずれにあろうとも、そこに働くものは常に、なすべきことをなすことを期待される。それにもかかわらず、ものごとをなすべき者のうち、大きな成果を上げている者は少ない。

改善の目的は、製品やサービスを改良し、2・3年後にはまったく新しい製品やサービスにしてしまうことである。

組織は新しいものの創造に専念しなければならない。具体的には、あらゆる組織が三つの体系的な活動に取り組む必要がある。第一に、行うことすべてについて耐えざる改善を行う必要がある。第二に知識の開発、すなわちすでに成功しているものについて、さらに新しい応用法を開発する必要がある。第三にイノベーションの方法を学ぶ必要がある。イノベーションは体系的なプロセスとして組織化することができるし、まさにそのように組織化しなければならない。

成果をあげる人たちは気性や能力、職種や仕事のやり方、性格や知識や関心において千差万別である。共通点は、なすべきことを成し遂げる能力をもっていることだけである。知識労働とサービス労働は、何を行うか、どのような技能によって行うかによって生産性が左右される。
成功した企業は、きまって誰かがかつて勇気ある決断をした。

計画とは未来に関する現在の決定である。全力を注がなければ、単に約束と希望があるだけで、計画ではない。

定年の必要は実際のところ、年老いたということではない。おもな理由は若者たちに道をあけなければならないということにある。

学ぶことのできない資質、習得することができず、もともと持っていなければならない資質がある。他から得ることができず、どうしても自ら身につけていなければならない資質がある。才能ではなく真摯さである。本物変化とは人が行うことであり、一時の変化とは人が言うことである。

自らが自らに求めるものが少なければ成長しない。だが多くを求めるならば、何も成長しない者と同じ程度の努力で、巨人にまで成長する。

未来を予測しようとすると罠にはまる。未来を語る前に、今の現実を知らなければならない。現実からしかスタートできないからである。未来を予測する最良の方法は、未来を創ることだ。

自分が得意だと思っていることに、溺れるな。物事の「本質」を鋭く透察する心を持て。専門性の進化と、異分野との接触のバランスを実現しなければならない。

ビジネスの目標はただひとつ。顧客を作り出すことである。

未来に何かを起こすには、勇気を必要とする。努力を必要とする。信念を必要とする。学校は長くいればいるほど、自分で意志決定を行う機会が少なくなる。

将来についてわかっている唯一のことは、今とは違うということだ。
The only thing we know about the future is that it is going to be different.

ビジネスには二つの機能しかない。マーケティングとイノベーションである。
Business has only two functions – marketing and innovation.

なにかが成し遂げられるときには、かならずその使命のほかには何も考えられない偏執狂的な人間がいるものだ。

時間は最も乏しい資源であり、それが管理できなければ他の何事も管理することはできない。
Time is the scarcest resource, and unless it is managed, nothing else can be managed.

反対論がない場合には結論を出してはならない。勇気と勉強に不足があれば反対論は出ない。決定のためには、いろいろな案がなくてはならない。ただし、可・否の二案だけでは不足だ。決定しないという決定もあることを忘れない方がいい。

ほとんどの経営者はその時間の大半を、過ぎ去ってしまった昨日の問題を解決することに費やしている。

コンサルタントとしての私の最大の長所は、無知になり、いくつかの質問をすることである。
My greatest strength as a consultant is to be ignorant and ask a few questions.

生産性とは機械や道具や手法の問題ではなく、姿勢の問題である。換言するならば、生産性を決定するものは、働く人たちの動機である。手っ取り早く効果的に生産性を向上させる方法は、何を行うべきかを明らかにすることである。そして、行う必要のない仕事をやめることである。

コミュニケーションにおいて最も大切なことは、相手の語らない本意をくみとることだ。
The most important thing in communication is to hear what isn’t being said.

企業はなによりも「アイデア」であり、アイデアを生むことのできるのは個々の人間だけである。勇を鼓して自ら思考し、既成観念にあえてそむける人なくして、その企業の成長と繁栄は望めない。経済的発展において最大の資源となるのは人間である。経済を発展させるのは、人間であって資本や原料ではない。

21世紀の最大の不安定化要因は人口の構造変化である。ただし、先進国における最大の問題は高齢化ではない。少子化のほうである。

マネジメントは物事を正しく行うこと。
リーダーシップとは正しい事をすることである。

学ぶという事は、一生続く変化に遅れないようについていくためのプロセスだという事実を、私たちは今では受け入れている。そして、最も緊急な課題は人々に学び方を教えることである。

効率とは物事を正しく行うことで、有効性とは正しいことを行うことである。
効率とは、現在既に行われている事をより洗練させることである。

数百年後、歴史家が長い視点から今日の時代をとらえた場合、最も重要な出来事はテクノロジーでもインターネットでも電子商取引でもないだろう。人間がおかれた状況の史上例を見ない変動こそ、最大の出来事である。今日多くの人々が選択する自由を手にしており、その人数は急激に増えつつある。これは歴史上まったくなかったことだ。それは同じく史上初めて人々が自分自身をマネジメントしなければならないことでもある。しかし、社会の側ではこの事態に対応 する準備が全然できていない。

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