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小林一三のプロフィール

【小林一三 こばやし・いちぞう】日本の実業家。阪急グループ創設者。1873年、山梨県巨摩郡生まれ。阪急電鉄・阪急百貨店・阪急阪神東宝グループの創業者。阪急ブレーブス、宝塚歌劇団の創始者としても知られる。
慶應義塾大学卒後、三井銀行に入り、その後箕面有馬電軌(のち京阪神急行電鉄)の設立に参加。専務となるが、社長不在のため経営の実権を握る。私鉄経営に新生面を拓きユニークなパンフレット広告や月賦販売を行い乗客を増やすため宝塚歌劇団、阪急百貨店、宝塚温泉、動物園を創設。1918年に社長就任。また、東京電灯会社、東宝社長を歴任。第二次近衛内閣で、商工相。駅ビルから建売住宅、電車の中吊り広告まで実用化する。全国高校野球大会を企画した企業家。
交通機関を作り、人とモノの流れを作り、さらにレジャー施設などを作り、街と企業を総合的に成長させた日本の都市デベロッパーの先駆け。

人生に勝利するには、何より勝つ心がけが必要である。人が八時間働くなら、十五時間働く気概、人がうまいものを食べているときには、自分はうまいものを食べないだけの度胸がなければいけない。

金がないから何もできなという人間は、金があっても何もできない人間である。

自分の長所を磨くことを忘れて、無理からに常識にのみよる行動をとる若い平凡人が多すぎて困る。自分の持つ長所を確信することである。確固たる思想を飽くまでも維持することである。

百歩先の見えるものは、狂人あつかいにされる。
五十歩先の見えるものは、多くは犠牲者となる。
十歩先の見えるものが、成功者である。
現在が見えぬのは、落伍者である。

自分の持つ長所を確信することである。確固たる思想を飽くまでも維持することである。訓練式タイプ型のみに憧れず、何人も持つ自分自身の長所を顧みて、それに磨きをかける人の多からんことを切に希望する。

新しい仕事をするときは人に知ってもらうことが何よりたいせつなことだ。いくら先見あるアイデアでも、人に知ってもらわないとその価値を発揮することはできない。だが並のやり方だと広く人に知ってもらうことはできない。

サラリーマンに限らず、社会生活において成功するには、その道でエキスパートになる事だ。ある一つの事について、どうしてもその人でなければならないという人間になることだ。下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。

今日の若い人々は学校を出て就職する時、名の通った大会社に入りたがるが大会社に入れば一生楽に暮らせるわけではない。どこでも激しい生存競争は あるし、偉そうに振舞えても単なる機構の一部の上で踊っているかかしに過ぎぬ。中小企業に進んで就職する方がよほど身のためになる。中小企業で仕事をする ということは、その目的がサラリーマンになることではない。将来独立自営の主になるのが目的なので、仕事はその見習いが主になる。したがってサラリーマン 希望で入ったら大いに当てが外れるだろう。むしろ月給はいらない、手に職を与えてもらう、その道の専門家に生き方を教わる心構えで入らなければならない。

人に頼り、人に期待するのが一番いけない。

成功の道は信用を得ることである。どんなに才能や手腕があっても、平凡なことを忠実に実行できないような若者は将来の見込みはない。

乗る人がいなくて赤字になるなら、乗る客を作り出せばよい。それには沿線に人の集まる場所を作ればいいのだ。
【覚書き|阪急鉄道は鉄道業の枠にとらわれず駅ビルや駅周辺を開発し商業・娯楽施設を作った。その結果多くの人が沿線に住み、鉄道を利用した】

はじめて会社に勤めると、誰しもいちばん最初に交際するのは感じのよい人です。しかし、私はこれには反対で、まず感じの悪い人に勇敢にぶつかっていくことです。こういう人は打ち解けると、感じのいい人よりむしろ親切で、本当の味方になってくれるものです。

出世の道は信用を得ることである。
第一の条件は正直でなければならぬ。あの人には気を許すことができないと言われるようでは信用は得られぬ。
第二の条件は礼儀を知っていることである。粗暴な言辞、荒っぽい動作では、これまた信用は得られない。
第三の条件は物事を迅速、正確に処理する能力があるかどうかである。頼まれた仕事を催促されるようでは、やはり信用が得られない。

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