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その他人物の投資名言のプロフィール

このカテゴリは分類できなかったその他人物の投資に関する名言を掲載しています。プロフィールは各人物の個別ページをご覧ください。

ウォール街ほど歴史が何度も繰り返すところはないし、そっくりそのまま繰り返すところもない。過去のブームやパニックについて当時書かれた記録を読んだとき、特に強い印象を受けるのは、株式投機も株式投機家も過去と現在ではほとんど変わっていないことである。投機の性格は変わっておらず、人間の性格も変わっていない。

人間の愚かさには限りがないようだ。そうでなければ、同じ落とし穴に一千回も落ちるわけがない。過去の失敗を覚えていても、頼りになる考え方を求め、奨励して、またしても失敗を繰り返すことになる。

「卵は一つのカゴに盛るな」と愚かな者は言う。これでは「金を分散し、注意を分散させよ」というに等しい。賢者は言う。「卵は一つのカゴに盛り、そのカゴをよくよく見守れ」と。賢者は投機を戒める。「人生には投機に手を出すべきではない時期は二つある。投機に回せる金がないときと、投機に回せる金があるときだ」と。そして、投資家としての失敗を嘆く。「投資機会を見つけ出せるのはたいてい、機会がなくなってからだ」と。

投機家と投資家の違いは、短期売買の意図があるかないかにある。つまり、証券価格の変動から利益を得ようとするかどうかにある。

投資と投機の違いを明確にしようとすることは、過ちをおかした若者に、恋と情欲は別のものだと説明するようなものだ。二つが違うものだとわかっても、若者にとって悩みが消えるほどの違いがあるとは思えない。

ルーレット賭博の必勝法
馬鹿に徹して単純に考えること。ゲームの初めから終わりまで常に自己を抑制し、興奮しないこと。
【覚書き|大作家ドストエフスキーは賭博中毒者であった。上記発言は知人にルーレットで勝つ方法を伝授した時の言葉】

政治家が自らの政策に基づいて株式市場で投機をしていれば、すぐに、投機に基づいて政策を決めるようになるという格言があり、世論と個人の倫理観からすれば十分に納得できる格言である。

人生はすべて投機だ。人は誰しも、投機心を持って生まれてくる。
【ジェイムズ・R・キーン。19世紀アメリカで活躍した投機家・相場師】

本来的な価値に基づいては株式を買えないので、買い手は一年後にこうなってほしいと期待する株価に基づいて買っている。一年後に始まる競争で今から走り出せば不利になるのは否定できないが、競争はおそらく一生続く。そこまで長い期間で見れば、いま何ドルか高い価格で株を買うことになっても、結果にはほとんど影響しないという。不況になる可能性も、それほど懸念していない。新時代の今では大企業の将来は安定していると強く信じているからだ。

現在の適正な利子・配当収入を犠牲にしても、将来の値上がり益を期待して証券を買うのは、投機そのものであって、投資ではない。現在の安全を犠牲にして、将来の偶然にかけるものだからだ。

目を閉じて、株価表示板のどこかを指すだけでいい。こうやって選んだ株を買えば株価が上がっていく。
【グルーチョ・マルクス。米国の超人気喜劇役者。マルクス兄弟三男。上記発言は1920年代の超強気相場での株式銘柄の選び方について語った言葉。マルクスは当時、25万ドル以上の資金を借りて株式投資を行っている。バブル的な相場は市場全体が底上げされるのでゴミのような株でも値上がりが期待される。それを彼なりに皮肉った言葉】

株式に投資しないでおくことには、常に危険が付きまとう。長期的に見れば、株式は常に上昇しているからだ。株式市場でリスクとして考えられているのは、買った株が値下がりする可能性である。だが、本当のリスクは株を買わない方にある。

古い時代には投機家は、「最も短期間に最も値上がりする銘柄」を買おうとするとして非難されてきたが、現在ではもはや、この種の活動が非難を浴びることはない。投機が脚光を浴びる時代がやってきたのである。投機は投資と何の問題もなく共存できる。そして投機は、証券市場そのものと変わらぬほど正当なものであり、必要なものである。

私は若いころ、賭博師と呼ばれていた。仕事の規模が大きくなると、投機家と呼ばれるようになった。いまでは銀行家と呼ばれている。しかし私は、いつも同じことをしてきただけだ。

投機という悪は、たしかに抑制すべきものだが、どのように抑制すべきかはわからない。悪の動きを止めるために、事業欲まで窒息させてしまえば、病よりも治療のほうが悪影響を及ぼすことになる。事業意欲は社会に大きな利益を与える生産的なものなので、適正な事業と行き過ぎた投機の間に線を引こうとする試みがあれば、残念に思う。
【アレグザンダー・ベアリング、イギリス枢密顧問官】

株価が実際の資本を上回る水準まで上昇するのは想像上のものに過ぎない。どれほど素朴な計算方法でも、一に一を足した時に3.5になることはない。したがって、想像上の価値はすべて、いずれ誰かが損失として被るしかない。自分が損失を被りたくないのであれば、早く株を売って、遅れたものが悪魔の餌食になるようにするしかない。
【覚書き|上記は南海バブル中に発行された発行者不明のパンフレットの文面】

天体の動きなら計算できるが、群集の狂気は計算できない。
【覚書き|上記は造幣局長時代に南海会社株の先行きについて尋ねられた時の発言。当時、南海バブルの真っ最中で、ニュートンも南海会社株を7000ポンド保有していた。常識をはるかに超えた株価をおかしいと思い、保有していた株を早期に売り始めた。】

価格が上昇するとの予想を煽る何らかの偶然がきっかけになって、投機家が活躍するようになる。社会の風潮によっては、急激に資産を蓄積した人がいると、真似をしようとする者が多数出てくる。そして、価格の上昇の予想という当初の根拠で正当化できる水準をはるかに超えて投機が進み、さらには、そう予想する根拠のない対象にまで投機が広がっていく。投機が始まれば、どのような対象で同じように価格が上昇する。この種の投機の熱狂の時期には、信用供与(投資資金の信用貸し)がきわめて活発になる。

株式投資史を学ぶ大きなメリット
若者にとって株式の歴史を読み、どのような秘密のバネがあって、同じ日に急激に上昇し下落するのかを知ることほど有益な時間の過ごし方があるだろうか。人生の重大な関心ごとである富への道を進もうとするとき、エクスチェンジ通りの時代(※)からの物語を市場の達人から聞くことほど、有益な指針があるだろうか。期待と恐怖について十分な指導を受け、皆が狂喜しているときに冷静な姿勢を取り、皆が売ろうとしているときに密かに喜びながら買うことほど有益な方法があるだろうか。
【覚書き|エクスチェンジ通り時代とは17世紀イギリスで株式市場が開いたばかりの時代のこと。】

株式のこの売買を長く続けていけば、いずれ、どこかで全員が間をおかず、わけもなく乗り込んでくるとの漠然とした見方があった。たしかに群衆が駅に押しかけてきたが、車掌が発車しますと叫び、煙が消え、蒸気も消えたとき、乗ったのは少数だけだったことがわかるだろう。残りは轢かれてしまい、憂鬱な事故と呼ばれ、実際に憂鬱になるだろう。

投機は当初は気分であり、趣味という言葉を使う人もいるだろう。やがて、これが習慣となり、情熱になり、熱情になり、アロンの蛇のように、ほかの情熱をすべての見込んで強まっていく。最後には、怒りよりも強くなり、嫉妬より苦痛になり、強欲よりも欲張りになり、恋愛よりも奪いつくすようになる。株式市場は厚化粧でしわを隠して最新流行の服をまとった老婆に例えることもできるだろう。投機家に流し目を使い、黄金の楽しみを約束するが、いざ手を伸ばすと、砂漠の蜃気楼のように消え、身の破滅がもたらされる。

投機の対象は小説家すらうらやむほどの興味を掻き立てることができる。人々が一斉に理性のくびきを逃れ、黄金の夢を追い求めてがむしゃらに走りだし、それが夢に過ぎない事実を認めることをかたくなに拒否し、まるで鬼火かなにかのように沼地に飛び込んでいく様を見ていくのが、退屈だとか、何の教訓も得られないとか言えるだろうか。

よくいわれているように、人は群衆で考える。本書で書くように、狂気に陥るときは群集心理でそうなる。しかし、正気に戻るときは、ゆっくりと一人ずつ戻っていく。

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