本田宗一郎の名言・格言|メイン顧客を決めて開発を

これからの未来は、女性が車を乗る時代が来るだろうし、女性にアピールする車を作らないといけない。世の中に女性がいなかったら、俺は毛生え薬を 試す事はないだろうし、服はドンゴロスに穴を開けたもので十分だが、女性がいるからこそ、クルマも女性に注目されないといけない。芸術でも技術でも、いい仕事をするには、女のことが分かってないとダメなんじゃないかな。


本田宗一郎 の経歴

【本田宗一郎 ほんだ・そういちろう】日本の実業家、技術者。1906年、静岡県生まれ。自動車メーカーのホンダ創業者。 高等小学校卒業後、東京・本郷区湯島の自動車修理工場「アート商会」入社。 6年勤務後、のれん分けの形で浜松市に支店を設立して独立した後、「東海精機重工業株式会社」(現・東海精機株式会社)の社長に就任するが、三河地震により東海精機重工業浜松工場が倒産。同社を退社。その後、浜松市に本田技術研究所設立。所長に就任。 資本金100万、従業員20人で本田技研工業株式会社を浜松に設立。オートバイの研究を行う。自転車に付ける小型エンジンキット「スーパーカブ(のちにバイクそのものとして販売する)」で最初の財産を作る。その後、藤沢武夫と出会い、自動車産業の発展を牽引し、ホンダを世界的な企業へと成長させる。米国の自動車殿堂入り、英国機械学会からジェームズ・ワット国際メダルを受ける。 66歳で本田技研工業社長を退き、取締役最高顧問に就任。以降、取締役も退き、終身最高顧問となる。1991年、8月5日肝不全のため死去。享年84歳。

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